今、あなたの力が必要な理由

vol.1

神奈川相模湾の海の危機~人の生活で危ぶまれ、人の手助けで救われる~

工藤孝浩

工藤孝浩さん- Takahiro Kudo -

神奈川県水産技術センター主任研究員 栽培推進部

学生時代から東京湾に潜って研究を続ける一方、山下公園前の海底清掃や海、川、森の活動団体のネットワークづくり、海の環境教育を実践する。魚の視点から地元のヒトとマチを見つめる研究者。タレントのさかなクンの師匠として知られ、海や魚に関するテレビ番組等の監修を数多く手がけている。
2008年3月:第13回NHK関東甲信越地域放送文化賞受賞

栽培漁業は非常に公益的な仕事

どのようなお仕事をされているのでしょうか?

今は栽培漁業を推進する部署で仕事をしています。栽培漁業とは、人工的に魚介類を産卵させ、自分で餌がとれて敵から身を守れる大きさに育てて海に放流することです。養殖は食べられる大きさにまで人が育てますが、「栽培漁業」では放流後は自然の力によって育ちます。そして養殖との決定的な違いは、「所有権放棄」をしている事でしょう。養殖では必ず所有者が存在しますが、栽培漁業では放流後の魚は誰のものでもありません。我々は海の恵み(水産資源)を水産業という形で合理的に利用していますが、その中には再生産力(自然に増える力)が衰えて減ってしまったものがあります。その衰えた再生産力を補うのが栽培漁業です。

サザエの稚貝

サザエの稚貝
年間トータル60万個が育てられ放流される

サザエの稚貝

稚貝の餌になる珪藻を付けた板

栽培アワビ

相模湾産の9割がこの栽培アワビ。
年間10万個が放流されている

餌の種類で殻の模様と色合いが変わる

餌の種類で殻の模様と色合いが変わる。
茶の部分は紅藻、白い部分はアラメや配合飼料を
食べた時にできた殻

将来は天然物がなくなってしまう?相模湾、 東京湾の問題

相模湾の水産資源が黄色信号だと聞きました。どのような事ですか?

今まで人が獲り続けて海産物が絶滅した例は、世界的にみてごくわずかな例しかありません。陸の動物では、日本だけでもオオカミやカワウソなど絶滅した例は数多くありますね。陸に比べて海は非常に豊かで生産力が大きく、生物が増えるポテンシャルが高く回復力もあった。そんな海に人類はいろいろなプレッシャーを与え、汚してしまった。現在「相模湾」で獲れるアワビは約9割が放流したものです。この数字は、自然界で天然のアワビはほとんど再生産していない事を示しています。
またマダイも、年によっては約半分が放流したもので占められています。もし放流を止めてしまうと、放流分が確実に減る事になります。人間の手助けを停止した場合、どうなってしまうのか本当に大変な事だと思います。

なぜそのような事になったのでしょう?

アワビの場合、減少してしまった原因はよく判っていないのですが、藻場や磯場の環境が悪くなったり無くなったからだと言われています。アワビの稚貝やマダイの稚魚たちが安心して育つ「ゆりかご」が無くなってしまった。そしてやはり水質汚染ですね。これもハッキリした事は言えませんが、人間は有害な化学物質を意図的ではないにせよ出してしまっています。アワビに当てはまるか分かりませんが、環境ホルモンが原因で生殖能力が無くなってしまった巻貝の例があります。アワビも化学物質の影響を受けているかもしれません。いずれにしても、人間の活動が影響しているのは間違いありません。

また現在、相模湾では「磯焼け」が深刻な問題となっています。磯焼けとは海藻の群落が大規模になくなった状態が何年も続く事です。磯焼けは、黒潮の接近や水温の上昇によって数十年に1回くらい起きます。そういった偶発的な自然の攪乱は、起きても数年で元どおりになります。ところが近年の磯焼けは放っておいても元にもどらない。その要因は環境の大規模な変化、温暖化傾向にあると思います。地球規模となると人知が及びませんが、小規模な磯焼けの場合は人間の影響が大きく、例えば生活排水や土木工事の濁水によって藻場がダメージを受けてしまうことがあります。

相模湾もそうですが、東京湾も大変な危機にあります。例えば海底にすむカレイやシャコなどは壊滅状態です。漁業による乱獲の影響も考えられたので、シャコの場合何年も禁漁をしました。3年では効果が出なかったので、結局5年、6年と続けましたがシャコは戻っていません。このことから原因は乱獲ではなかったのです。そこで疑われている要因の一つが「貧酸素水塊」です。これが東京湾の海底に広がり、海底に生息する魚介類を蝕んでいると言われています。このように人間の五感では感じ得ない変化が海の中で起きているのが、ここ最近の状況です。https://ja.wikipedia.org/wiki/貧酸素水塊

予算がカットになり事業がストップすると?

予算カットはとても深刻で、現在の栽培漁業は国からの援助は受けていません。
また県の予算も厳しいので受益者負担をお願いしています。これは放流した魚で利益を得る方々から資金をいただくと言うことです。つまり漁業者はもちろん、釣り人や釣り船の関係者にも負担をお願いしているのですが、強制力がないので皆様の善意におすがりしている状態です。

密漁があると大変ですね

漁師さんが身銭を切って放流を支えてくれている訳ですから、そのような事が続くと漁師さんも疲弊して漁業も衰退し、ひいては栽培漁業もストップしてしまいかねません。そうなるとアワビやタイの水揚げはなくなってしまうかもしれません。

サザエの稚貝

稚貝の餌になる珪藻を付けた板

栽培アワビ

相模湾産の9割がこの栽培アワビ。
年間10万個が放流されている

餌の種類で殻の模様と色合いが変わる

餌の種類で殻の模様と色合いが変わる。
茶の部分は紅藻、白い部分はアラメや配合飼料を
食べた時にできた殻

水道の蛇口と海は繋がっている

解決するには

諦めない気持ちを持つことが大事。地球規模の変動だからと言って手も足も出ないと諦めてしまうと、物事は何も動かなくなってしまう。諦めずにやれる事をやる事が大切。例えば最近ではアマモなどの藻場の再生活動が広がってきています。海藻は日光を浴びて育ちますから、水の濁りは海藻にとって大敵です。だから海を汚す事は出来るだけ控えなければなりません。日々の生活でも家庭と海は繋がっています。暮らしの中で出る排水は下水処理場に行きますが、最終的には海に流れ込むのです。我々の生活は常に海に繋がっていると言う事を認識、自覚していただきたいです。

天然のアラメとカジメ

稚貝の餌になる貴重な天然のアラメとカジメ

海に対して小さな想いを

我々に出来ることは?(あなたの力が必要な理由)

海にある再生産力がいろいろな要因で弱まっている。その原因は少なからず人間にもある。海を痛めつけていると言う当事者意識を誰もが持っていて欲しい。人は海のために何が出来るのか?を心の中で想い描いて欲しいです。でも今はそれがなかなか難しいのです。東京湾の湾岸地帯では、海に行きたくても工場や港湾に占拠されていて行けない。それに比べ相模湾はまだ恵まれています。長く続く湘南の海岸線では海岸を眺められ、生活に近いところに海があります。その海にちょっとした気遣いをしていただければと思います。
それからもっと海に来て欲しいですね。私は通勤で横浜から城ヶ島まで30年通っています。以前は車の渋滞で城ヶ島大橋が渡れないほど人が遊びにきていましたが、今は夏でもとても寂しい。人々と海との距離が離れてしまっているのが気がかりです。

食べると言う部分で海と繋がる

工藤先生の想い

魚をもっと食べて欲しい。魚は大変に種類が多く栄養豊富でとても美味しい。魚を食べる事は「生きる」に直結します。また魚を食べてくれると、魚が売れて漁師さんも元気に働けます。物質の循環からみると、漁業は海から陸へと栄養物質を取り上げる大切な役割を持っています。首都圏の海から漁業が無くなってしまうと、栄養物質が生活排水などによって陸から海へと一方的に流れ込み、物質循環のバランスが崩れて海はどんどん汚れてしまいます。「食」と言う海の支え方があると言う事を知ってほしいです。
東京湾と相模湾は、巨大都市圏の目の前にありながら魚がたくさん獲れるという、世界でも類をみない貴重な海です。魚と共に生きてきた日本は世界に誇れる財産/文化を持っていると思います。2020年東京オリンピックに向けて世界にもっと魚文化を発信してゆきたいですね。

取材・写真:上重 泰秀(じょうじゅう やすひで)http://jojucamera.com