ゴミ拾いは大嫌い
皆さん「自分達の海」や「地元の海」とおっしゃいますが、世界中で繋がっているので「海は海」私は昔からそう思っています。
私の家は建具屋と漁師を兼業していました。ある日、父親の船からおにぎりを海に落としてしまいました。まだ5歳でしたが、父親から取ってこいと言われたのです。「海から恵みをいただいて生きているのに、海を汚してどうするんだ!」と叱られ、水深5メートルくらい潜って拾ってきました。それが初めての素潜りでした。
父は漁師仲間ともよく喧嘩していました。漁師はよくタバコ吸うでしょ。それを海にポイ捨てするんですよ。父もタバコを吸っていましたが、絶対に海には捨てなかった。「海が綺麗だからこそ生き物がたくさんいる。そこで生活している人が海を汚すなんて考えられない」と。
そうやって育てられてきたので、私はゴミ拾いが大嫌いでした。しかし掃除は大好きです。掃除というのは汚くしない事、でもゴミ拾いは汚した物を片付ける行為。だから大嫌いです。
リアルな魚ロボットを作る前は自然の教室を開催していました
海に行かないと本当の水の事は分からないし、そこで育まれる命の事も分からないので、海に行って、覗いて、触れて、海を楽しむ教室を長年開催していました。「楽しい」と言う事は素敵な事です。でも、もしその楽しいところが汚れていたら悲しくなるでしょう。そのような自然体験の教室を16年前まで開催していました。しかし、身体を壊して教室が出来なくなってしまったんです。
リアル魚ロボットを作ったきっかけは?
肺癌になってしまい、好きな海に入って活動が出来ないなら、綺麗な宮古島で余生を過ごそうかなと思い引っ越しました。しかし、自分の好きな事が出来なくなったくらいで人生を諦めてしまった事は、今考えると恥ずかしいお話です。
宮古島には以前訪れた縁があり、移住を決めました。宮古の海は海流が速く、地質の形状やアルカリ性の水質のおかげで水が汚れにくく、僕が見てきた海の中でも綺麗なところです。
そんな美しい島でも島内ではゴミが多く、特に私が住んでいたアパート前の海岸のゴミが凄くて、最初は目の前の浜だけで拾っていました。しかし、あまりにひどいので「おばぁ」にちょっと注意しようかなと相談したら「気にすることないさ、安心して捨てていいよ。昔からやっている事だから、いらなくなった物は水に流せばいいさ」と普通に言われて、ショックを受けた事をよく覚えています。今ではそんなことも少なくなりましたが、当時は冷蔵庫、洗濯機、テレビなんかも捨てていましたね。ゴミという感覚があまりないのかな。
悲しくなりましたが、なんとかしなければなりません。そこで、ゴミ拾いを毎日しつこいくらいしました。ただ、拾ったゴミを捨てる場所がないので、自分の部屋に溜まってくるんですよ。近所の子供が毎日手伝いにくるようになってね。拾い集めたゴミは、僕のところにドンドン溜まる(笑)大家さんも見るに見かねて町長さんに掛け合ってくれたりしました。分別なんかもなかなかできなくて。そんな感じでしたね。
そんな時、砂川君という男の子が、毎日流れてくるペットボトルやプラスチック、発砲スチロールのゴミを見て、「おじさん、このゴミを使って何か泳ぐものができないかな」と私に言ってきたのがきっかけでロボットを作り始める事にしました。しかし、ロボットを作るためには宮古島では難しいので実家に戻りました。試行錯誤を繰り返し4年半かかりましたが、1号機としてジュゴンとスナメリが出来ました。
僕の中では「ゴミ」なんて言葉はあり得なかったです。人間だけかもしれないですね、「ゴミ」という概念は。その人の価値観や、勝手な個人の判断で要らなくなったものを「ゴミ」として捨ててしまう。
捨てていいものなんか、ある訳ないです。ある使い道が終わっても、違う使い道が待っています。みんながいらないと捨てた物からロボットを作って、早く砂川君に見せてあげたい気持ちが強かったです。
今は何台くらいありますか?
常時100台くらいの用意はありますが、稼働するのが50台くらいかな。のこぎりエイ、シーラカンス、生後6ヶ月のバンドウイルカ、2メートル50センチの成体も作りました。体表の100%は全て捨てられた物です。身体の内部、継ぎ目に使っている部品はアルミの棒や建築廃材。頭蓋骨の骨格にはスタイルフォーム。流れ着いた発砲スチロールは、ボディーの素材になります。
作り始めた頃は、ラジコンと言う言葉も知らなかったので、最初は自作していました。素人がやるので当然ですが、故障や爆発など日常茶飯事。試行錯誤が続く中、秋葉原のロボット専門店で店主から「もっと勉強した方がいいよ」と言われたのをきっかけに、専門的な勉強を始めたところ、ロボットとしてではなく、生き物としての感覚で考えるとすぐに作れるようになったんです。
素材の全ては、海や川に行って拾っています。その「拾った物」が、おっと驚くものに変わっちゃう。ゴミも捨てたものじゃないですよね。
どんな素材が使われていますか?
ロボット作りを始めてから大学の研究者に会うようになり、アイディアをいろいろもらいました。ヒレに使う素材は海岸に落ちている「弾性伝達素材」に特殊な加工をしたり、ひび割れた下敷き、ビニールシートやVHSのビデオカセット、建築廃材のアルミも骨に構造がよく似ていたので使いました。
手触りや色彩もそっくりに作りました。また、持ったときに命の重さを知って欲しくて、重さも同じにしています。重さの調整は釣り人が捨てていった鉛など使っています。
関節にはモーターを入れて、イルカなら泳ぎがなめらかになるように工夫しました。骨はアルミをよく使い、体表も柔らかい素材で、仕上げると本物のように泳いでくれました。
丸い胴体のイルカや鯨の仲間がいますよね。シャチとか、その胴体の丸みはペットボトルです。ペットボトルを輪切りにして短冊状にし、肋骨にしています。四角いマンタの身体は、お刺身などが盛られている発砲スチロールのトレー。その中にメカを入れます。ラブカの頭は断熱材のスタイルフォームです。ただ、モーターや受信機、バッテリーはさすがにありませんから購入しました。
今、直しているロボットは弟子達が制作したものですが、師匠にしかできないところがあるので、調整しているところです。名前は「寿司桶」。海岸に落ちていた、プラスチックの寿司桶を甲羅部分に入れているので「寿司桶」です。どこの会社の寿司桶か調べてみたのですが、別にその会社やお店の人が捨てた訳ではないので、怒ってはいないです。その店で買った誰かが食べたあと捨てたんでしょうね。この亀は38キロあるんです。本物と同じ重さで、とてつもなく重いです(笑)
出来たリアル魚ロボットを使って病院へ
海に行けない人に、水の生き物達を紹介して欲しい。そう言われ、ロボット活動を始めてから10年間、全国を回りました。時には海外も行きました。参加してくれる方々は口々に、リアル魚ロボットをすごいと言ってくれるのですが、「海、川にはその100万倍すごい生き物がたくさんいる」と伝えています。
みんなが触っているのは、全てゴミが材料ですから。みんながゴミを捨てなければ、どこの川でも海でも、本当に楽しく綺麗で、みんな笑顔になれる場所なんだと伝えています。
病室から外出できない子供達が「おじさん、元気になったら海に生き物を見に行ける」と嬉しそうに言うんです。「本物はおじさんのロボットとは比べものにならない、それが住んでいる海はすごいところだよ」と言うと、みんなワクワクして、「早く元気になりたい」というのです。
私はそんな事をできるとは思っていなかったので、目の前が開けたと言うか、それが長年続ける原動力になっています。
海ゴミの7割が川から流れてくると言われています
そのように言われているんですか?それは違うと思います。海を汚しているのは僕も皆さんもです。ゴミは川の上流から流れてくる?もっともな意見です。
しかし、そのように誤摩化してはいけません。台所から物を流した事はないですか?風呂で頭を洗う時にシャンプーを使いませんか?みんなが汚しているんです。でも、考えた方を少し変えるだけで減らせます。シャンプーのポンプを2回押していたところを1回にすればいいんです。出来る事はたくさんあります。
一番大切な事は、人のせいにするのではなく、「自分達が汚している」と自覚する事です。
それを自覚させないのがゴミ拾い活動です。だから嫌なんです。拾った、綺麗になったじゃない。拾わなくていいですよ。川の上流の人達の責任じゃない。海岸の汚れはみんなの心がけです。という事を伝えてきました。ゴミ拾いは怒りながらのイベントじゃないと駄目です。今でも僕はそう思っています。
ゴミ拾いで材料が調達できなくなる?
ゴミ拾いをしている気持ちはありません。海岸にはロボットの素材を集めにいっています。だから綺麗にしようなんてサラサラ思っていません。ゴミ拾いなんてやっても綺麗にならないから。
なので、部品が調達できなくなり、ロボットが作れなくなるのが僕の夢です。僕のロボットはゴミから始まったものです。流れてきたゴミが本物みたいに動いたら、泳いだら、みんながハッとしてくれる。それが嬉しい。
10年活動してきて今年56歳です。ロボットは本物と同じ重さなので持ち上げるのも大変になってきました。内部のモーターやケーブルのセッティングなども見えにくくなってきました。それに、昔の病気のせいで手足が震え、うまく出来なくなってきたため、昨年の長野の子供病院でのイベントを最後に引退しました。
活動を引退されたんですか?
はい。なぜ活動を終了したかというと、水の中に行ける人はほんの一握りです。入院している子供達や難病を抱えた子は行けないんです。その子たちは、病室内でロボットのイルカや海亀に触れる事しか出来ません。このような活動の需要はたくさんあるし、なるべくそれに応えたいと思っています。しかし、このまま一人で活動していると、潰れて終わりになってしまう恐れがあります。だから、これからは後継者育成に考え方を切り替えようと思い、去年の10月末で終わりました。
後継者育成は4年くらい前から考えていて海外にも弟子がたくさんいますが、弟子と後継者は違うのです。弟子はロボットが作れる、直せるだけ。私の後継者ではありません。後継者はロボットを使って自然を伝えるという事をやってくれる人。今は本気でその方を探そうと思っています。
これからの活動は?
今後の活動は後継者を探す事です。とりあえず、弟子と各地を回り、弟子の作ったロボットを見せながら、私が実演トークするイベントを開催していこうかなと思っています。
プールを設置してロボットを泳がせながら、このロボットの本物の魚の事を伝える「海の教室」みたいな感じです。私の屋号もそれを称して「海洋楽教室」。取材を受けるといつも間違えられるのですが「楽」が「学」になってしまいます(笑)
しかし、病気の後はやはり海が怖くなりました。海は簡単に命を持っていきます。海岸でゴミ拾いをしている人達にいつも言うのですが、「天気図を見てきたか」って。見てこない子がほとんどです。ゴミ拾い活動をしている団体の方々も、保安庁に連絡さえしていない。海はいつ大きな波がくるかわからない。命を簡単に持っていくところです。父の口癖でした。「海は怖い所でもある」と。自分も目が悪くなり、判断力や体力も落ち、泳ぐ事もできなくなって海が怖いのですが、駄目な自分を認めるために、今年は弟子達と久しぶりに海に行く予定です。
お仕事はなにを?
アルバイトで生計を立てています。魚ロボットは仕事としていないので、お金はもらっていません。だからフリーターと言うんですか(笑)ちょっとだけ格好良くいえば。
余命宣告を受けた事があるそうですね
昔ですね。癌を煩っている頃、フジテレビのアンビリーバボーという番組でロボットを持って出演した際に、病気の事ばかり心配されて、全然楽しさを伝える事が出来なくて。やはり見た目で判断されますからね。テレビ出演後、必死に身体を鍛え直し、10年間トレーニングを続けてきました。それに、病院に行く時に自分が弱っていたら、見る人も安心して見る事ができないですから。
先生は病院で子供達に何を伝えたのですか?
本物を伝えたかった。それだけです。僕はロボットなんか見せるつもりはありません。こんなのただの道具なので、伝えたいのは本当の命。本当の海を病院に居ながら感じてもらえれば、それだけ充分です。なぜなら本物の海や生き物は楽しいし、素敵だし、可愛い。それを伝えたいです。
実はロボットも興味はないです。どうでもいいんです。身体が悪くなり、自然の教室が出来なくなってしまって自分の人生を考えたら、残された時間を本気でやろうと思いました。本気でやれば何でも出来ます。それに、基本はロボットがすごい訳でありません。元の生き物たちが凄いんです。
東北などもいきましたか
東日本大震災で被災した東北にも行きました。今でもよく覚えています。避難所にいる子供達から電話がありました。「おじさんロボット見せてくれないの?楽しみにしていたんだよ」と言われたので、慌ててロボットを車に積んで行きました。イベント開催予定の病院は流されてしまい、大きな被害のあった場所には車で入れなかったので、離れた所に車を止めて、屋根にのせてきた自転車に、ポリタンク2個の水とビニールプールとロボットを積んで、避難所に行きました。
漁師さんから「こういう状況だから海が楽しい」と、子供達に伝えてと言われました。でも不謹慎だと思っていたんです。こんな時期に海の楽しさを伝えるロボットを持っていくなんて。しかし、逆でした。子供達はとても喜んでくれた。でも精神的にキツかったですね。