金城さんは何をされていますか?
サンゴを選抜育種し、環境の変化が著しい中、変わりゆく海の中で生きていけるサンゴを陸上で養殖し、そこで増えたサンゴを沖縄の海へ植え付ける事業をしています。
具体的には、陸上に小さな海、人口のサンゴ礁を造り「さんご畑」でサンゴを育てています。ここには天敵がおらず、水質が安定しているのでサンゴによい環境です。現在、養殖可能数は約30万株を飼育する大きな施設です。
さんご畑はいつオープンしましたか?
2009年にプレオープンしました。施設建設工事途中にテレビ取材が入り、ニュース番組で「さんご畑がオープンしました」と放送されてしまってお客さんが来場、そのままオープンとなり建設工事を継続しながら営業しています。現在は120種類の珊瑚と200種類以上の生き物達を飼育しています。
珊瑚の株を海に移植する活動をしています。記念日などのイベントに植える事が多いです。企業ではCSR 活動の一環としての申し込みなど色々な方がいらっしゃいますね。
珊瑚の養殖をはじめるきっかけは?
僕が子供の頃見てきたサンゴ礁は、今思えばありえないくらいカラフルでとても美しかったんです。現在言われているサンゴ白化現象が問題で、死に行く姿を見れば、どなたも同じ衝動にかられたのではないでしょうか。それくらい、昔の海はあまりにも美しかったと僕は記憶しています。昔のような綺麗な海を子供達に繋げていきたい気持ちから、1998年にサンゴ生育に関わりました。
映画化されました。劇中では、許可問題でご苦労されていましたね。
(映画「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」(2010)、主演:岡村隆史)
今思えば、何が問題だったかと言うと、環境を再生させる事になんら許可がいるとは思いもしなかったんですよ。
今まで前例がなかったものなので、それをやる難しさが実際の苦労だったのです。当時は今のように「エコ」という言葉を口にする世の中ではありませんでした。当時の沖縄はバブル直後くらいの時期だったので、まだ「開発」ありきの分雰囲気でした。「環境を守ろう」と声をあげると周囲からだいぶ気味悪がられました。
この活動を始めた時に、「ネガティブな大人が多いんだな」と気がつきました。問題解決をしようとした時に、問題の事を騒ぐ人はいるけれど、現場で作業する人はいなかったと感じましたね。それからみんなで「何かやろう」と思って人が集まっても、気がついたら最後は僕一人になっているという経験が多かったです。珊瑚の活動に参加すると、「お金が稼げるんじゃないか」と言う人もいたので、そのような人達の狭間でいろいろ面倒な経験をしたという感じですかね。
また、勉強しすぎで真面目になりすぎた人達は、僕らがアクションを起こそうとすると不安材料を見つけて批難します。そういう人が多すぎですよこの国は。だからスタートが始まらないと感じる事が多かったです。
映画化されて良い影響もたくさんありましたが、訳のわからないクレーマーのような連絡もたくさんありました。だから今は、人との関わりはあまり気にしていません。自分も学んで、学者達の意見もきちんと聞きながら、自分ができる行動をコツコツ続けていけばいいと思っています。
コツコツと続ける事は大切ですね。
人に伝える事が環境活動だと思っている人が多い気がします。もし伝えるなら、物事を理解してから伝えないといけないのに、知らずして物を伝えるから情報が歪んで伝わってしまう。せっかくのよい環境活動が、気づいたら世の中みんなが批判していた。そういう事が多すぎなんじゃないかな。
環境の事ってじっくり勉強して物を言う人が少ないな、と思っています。「やりもしない人は黙っていなさい」というのが僕の意見です。
養殖する際にDNA問題は?
DNAなどは、できるだけ多様性に考慮してやってきました。もちろん多くのことを学びながらです。日々充分に考え、調べることを18年の長い時間ずっと続けていますが、充分に考えずに活動を批判する世の中の人に対して、私個人としては心の中で異論があります。手付かずで滅び行く自然と、手付かずの自然を守るやり方と、人だらけの自然を守ろうとするやり方と、まぜて考えすぎです。
何も無い場所にサンゴを植える事を、みんなが目くじらを立てて必死に議論する事を僕は理解できなかった。だから環境再生に対して意見を言いたい人達は、理解をしないで批判をする人が多すぎるなと思っていました。純真に環境活動を頑張る人の阻害要因だと感じてきました。
1998年からスターとして、産卵までどのくらい?
スタートから6・7年くらいでしょうか。2004年くらいに産卵を確認しました。
テクニカル的な事は端から見たら大変に見えるかもしれませんが、好きでやっている事なので僕自身は楽しみながらやっていました。だから珊瑚の仕事は、疲れていても肉体的疲労なので寝れば直るんです。大変だったのは、このようなアクションに対して共感する人が少なかった事ですね。「あいつおかしくなったんじゃないか」みたいな感じはありましたよ。
環境活動という仕事は、色んな人の同意を得ることなど、その作業が大変でした。あとは珊瑚自体が保護動物なので、山に植林するようにどこからから木の苗を手配する事はできません。保護扱いされている珊瑚を養殖できるようになるまで、この法律の面を一つ一つクリアしていくのも大変でした。種も簡単には手に入らなかった。許可を貰えるまで2年くらいかかりました。
初めて産卵をみてどのような感想でしたか?
人間活動が大変だった理由のひとつに、専門家の中で「珊瑚は人工的に育てたものは卵を生まない」と見解を出していた先生がいたらしく、そのような専門家の意見が世の中では通ってしまう。
だから産卵が成功した事は「おかしい」と言われ続けてきた活動を、世の中に認めてもらう大切な事だったんです。僕は産卵の瞬間を見た時、感情移入がものすごくて本当に号泣してしまいました。
沖縄の海は昔から珊瑚があったと思います。海の種では、卵からつくっていますか?
僕の場合は特別採捕許可をもらっています。当初、沖縄県から40gの株一つだけ採取許可をもらいましたが、許可を出す側もよくわからない事だから厳しかったんです。
その40gから1年間かけてどれくらい増やせるか実証試験を見せて、では次の種類を採取、と繰り返し、得られた珊瑚を増やし続けました。だから、海からサンゴの枝を取ってきている訳ではなく「マイ珊瑚」を増やし続け、それを海に植えます。言うなれば完全養殖ですよね。
珊瑚自体は有性生殖、無性生殖の二種類がある訳です。僕らは珊瑚礁を陸地に再現しているので、ここで産卵し受精した幼生が生えてくるんです。それもまた種として取っておきます。だから、個人所有の小さな珊瑚礁を作って、そこで絶えず、命が生まれるようにして、そこで増えた分を海に植えにいくと言う活動をしています。
2000年から今までどのくらいの株?
読谷村では10万株くらい植えました。会社として植えたのが14万株くらいでしょうか(合計トータル 14万株)
生存率は?
最初に植えた株の大部分は死んでしまいました。最初に植えた場所は現在、ドロを被る環境になったからです。最初に植えた時と環境が変わってしまいましたね。現在植えている場所は、2013年と2015年にニュースでも大きく取り上げられた、白化現象が多くあった場所です。しかし僕らが植えた珊瑚は2013年の環境でも白化現象になりませんでした。僕らも驚いたのですが、その環境で生き抜いた珊瑚を僕らはスーパー珊瑚と呼ぶ事にしました。
スーパー珊瑚?
スーパー珊瑚は極めて高水温と紫外線に強い珊瑚です。これは狙って作った訳ではなく、選抜育種を繰り返し続けていく中で分かった事です。海だったら干潮、満潮がある訳ですが、この施設では干満がないので、水面ギリギリにある珊瑚は365日通常より強い紫外線受けるんです。その環境の中で白化が進んだ珊瑚から新たな枝が生える事を繰り返し、大切に育てる事を続けてきた結果、環境が悪い海に植えても白化しないサンゴであるという事がわかってきました。
このスーパーサンゴは、研究者達がDNAとバクテリア解析をやっているのですが、結果として選抜育種の賜物だろうと言う結果でした。普通だったら長い年月をかけて環境に適応していく生き物を、人間が強い個体を選択しながらやり続ける事で得られた訳です。
紫外線と高水温に強い珊瑚は、人工的に作ったものでは「世界初」とNHKニュースではなっていましたね。
植え方は?
種類によっていろいろな方法で植えています。沖縄には約400種類の珊瑚がいますが、種類によって株分けの仕方も変わってきます。
珊瑚の事を知らない人達がごちゃごちゃ言うものですから、文句のないような植え方を示したら、その方法が世の中に広がってゆきました。例えば、昆布とアマモの植え方は違いますよね。しかしなぜか珊瑚の植え方は一種類しかなかったんです。だから種類によっていろいろなやり方があると伝えたいです。
世の中に対して伝えたいのは、珊瑚の危機は1種類の絶滅の話ではないんです。カテゴリーが絶滅の危機の話です。言い換えると、植物すべての絶滅の危機が海の中で起きている事と一緒なんです。
カテゴリーが絶滅なんて恐ろしいじゃないですか。そのカテゴリーの危機さえ理解されていない中で、僕たちは最適な組み合わせの方法をみつけようと試行錯誤しています。
植え方、育て方、育つ環境、成長スピードは、珊瑚の種類と一緒で400通りの話があるはずですが、世間では1・2種類の話としてまとめて世の中に発信したがる。珊瑚は日常生活から離れすぎて、説明が難しい生き物ではないですか。単純に言うと、たくさんの種類があるので、種類によってきめ細やかに進めなくてはいけない事が珊瑚の植え付けの難しいところです。
鬼ヒトデ対策は?
鬼ヒトデの好まない種類の珊瑚もあります。僕らが植えている場所は、鬼ヒトデが数匹いたら珊瑚に被害が及ぶ前に取ってしまいます。だから大量発生被害というのは、僕が植えている地域では経験ありません。
鬼ヒトデは幼ヒトデ状態の時は珊瑚を食べないんです。植物性のプランクトンを食べるらしいのですが、人間活動の影響で海の富栄養化になったような場所で、幼鬼ヒトデが育ちやすくなり大量発生するという話は、僕もそうだろうなと思っています。だから鬼ヒトデの大量発生は、人間活動の影響による環境変化で、幼ヒトデが大きく育ってしまうという説に、僕は納得しています。
それから大移動もするらしいですね。ある場所に一カ所に固まってしまった場合、ある程度人間が努力しないと駄目ですね。鬼ヒトデが「悪」というより、バランスを崩している環境の事を考えなくてはなりません。
子供達につたえたい事は?
ここに至るまで、専門家や一般の大人達に「無理だ」と言われてきました。答えを知っているような賢い人達の意見にさらされてきました。
だけど僕が感じているのは、「生き物の事を全て知った顔をしてはいけないな」という事です。自然界の生き物は環境に適応してこの地球上で長年生きてきたので、人間が関わり方を変えたら、その関わり方が答えとして出てきます。関わらない事前提の議論で環境再生は無理だと思います。
関わり方が良ければ、多くの批判的、懐疑的な意見も生き物が乗り越えてくれる、という経験を僕はしました。子供達に僕が伝えたい事は、「未来の事を知っている大人は一人もいなんだ」と。今の環境に適応していく姿を、僕ら大人達が子供達に見せて行く事が本当の環境活動じゃないのかな。
沖縄の海は今後どうなっていきますか?
僕が感じている事は、気候変動のスピードが早すぎるから生き物がついてこれない。生き物が生きていける手助けを、人間が出来れば、その時代にあった珊瑚礁は発達してくれるんじゃないかと思っています。
ただ、今の変化のスピードを放置していたら、珊瑚が全くいなくなる世界が訪れるのかなという印象はあります。研究者達の結果を元にした予測では「2040年くらいには海から珊瑚は消える」と言われています。
だから僕は、その現実を世の中に発信しなくてならないと頑張っているつもりでいます。僕自身は自分の人生をかけていろいろやってきた事なので、自分が出来る範囲の事を自分はやろうと思っています。
僕が決めている事は、僕が珊瑚を残せるか分かりませんが、将来、珊瑚礁が残った場合、理由のひとつにはなりたいと思っています。
僕が陸上に珊瑚礁を作るといったら、最初は世の中の人は笑いました。「海の前の陸上に珊瑚礁を作ってどうするんだ」って。でも、僕が陸上に珊瑚を植えようと思った理由は、このままでは海から珊瑚は消えるから、小さくても珊瑚礁を持ちたいと思ったんです。
活動を続けていく中で伝えたい事は?
ごちゃごちゃ言う人は無視して、今までの経験を全部まとめると、出来る範囲で楽しくやるという事は、一番いい環境活動だなと思っています。環境の事を語るときに注意しないといけないのは、その意見を言う人が「たまに」の人なのか「毎日」の人なのかという事を理解しないといけません。
その環境活動の現場に「毎日」いる人と「たまに」しかこない人の意見は違います。「たまに」しか関わらない人は、その事を意識して意見を伝えたらいいと思います。
でも「毎日」活動を頑張る人が「たまに」の人の意見に振り回されるのは大変な事。だから僕はいろいろなNPO団体の方とも関わるけども、「たまに」の人が「毎日」のような顔をして意見を言うようになったら、だいたい3年くらいでいなくなるかなぁ~と想っています。
僕自身もそうですが、環境活動は「正義の味方」になってしまう感覚を持つんですよね。しかし「自分が正義になってしまったら心がもたなくなる」という事を学びました。僕は「毎日」の人として珊瑚と関わればいい。
そして「たまに」の意見を見極めるようにしています。だけど活動を始めた当初、右も左も分からないから「たまに」の意見の人に振り回されたんです。「あのやり方がいいでしょう」「こうするべきだ」など全部意見を聞いていると「たまに」の人はワーワー意見だけを言っていなくなる。という経験をたくさんしてきました。
NPOの方からも相談を受けるのですが、自身が「たまに」の人なのか「毎日」の人として活動していくのかそこから考えた方がいいよ、と僕なりにアドバイスしているつもりです。
子供達が環境活動を考えるときに「毎日」海で楽しめたから「たまに」は海で良い事をやろうと想う子供がたくさん増えたらいいな、と思っています。