今、あなたの力が必要な理由

vol.23

震災から7年。私が震災都市に木を植えるわけ~住民と一体で作る「防災林」とは~

伊勢脩

伊勢脩さん- Osamu Ise -

NPO法人「生命と環境保全」理事長

1942年5月30日生まれ。宮城県在住

伊勢さんは何をされていますか?

現役時代に南米で植林指導を、退職後は中国の黄土高原の3県で植林普及活動や内モンゴル自治区の砂漠緑化に必要な苗木生産や植林の技術指導に従事しました。

2013年にNPO法人「生命と環境保全」を設立。その後、北京地質大学の先生から中国遼寧省の小学教諭を対象とした環境教育指導者研修会の要請がありました。現地の情報収集をして水質汚染と大気汚染問題を、楽しく活動しながら学べる内容としました。初めに小学5年生の体験活動を教諭が見守り、その後、教諭自身が体験することで教諭の理解が深まるよう工夫しました。

帰国後は、地元の白石市や隣接する蔵王町の小学校で、自然の仕組みや自然観察等のお手伝い、市民講座のお手伝いをしています。震災後は、環境省の「環境カウンセラー」や国土交通省の「家庭の省エネエキスパート」の活動を停止し、国際環境NGO FoE Japanと提携して山元町の海岸防風林の再生活動に取り組んでいます。

植林を始めたきっかけを教えてください

震災当日は中国内モンゴルの沙漠に植林する予定地に到着した日でした。ネットでの情報で、日本国内の交通機関の復旧が当分の間、望めないことがわかり、とりあえず植林が終わり帰国出来るまでの時間を使って沙漠の中の小学校(第一小学から第五小学まで)に行き、楽しみながら自然の仕組みを知る活動を紹介するなどして、5月末に帰国することができました。

震災により別世界のようになった宮城県で私に出来る事は、被災者の写真や位牌を洗い、持ち主にお返しをしたり、宮脇先生が指導する海岸防災林再生活動のお手伝いをしていました。作業が一段落した後、自分が出来ることはないかを考えている時に、県の広報紙で「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」の公募をしていることを知り、現地案内に参加して亘理町と山元町の現地に行きました。以前、南米で植林指導をしていたときにお世話になった方の住宅がこの近くにあったことを思い出し、山元町で植林を始める事にしました。

植樹はいつからですか?

平成27年に、0.1haに500本を植えたのがはじまりです。28年は0.37haに2,084本、29年は0.18haに2,083本、今年は慰霊祭翌日の3月12日と4月28日の2回に分けて植樹祭を行い、併せて1,200本の植樹を予定しています。

植樹面積が増えていくに従い、下刈り等の保育面積も増えていきます。体力が年々衰えていくなかで、遮るものの無い炎天下での作業は厳しいものがあります。しかし、震災遺構として残される海辺の小学校の敷地より更に海に近いところにあった松林跡地の植樹が残っているので、下刈りも含めてこの先4年くらいは頑張ろうと考えています。

震災当日、その小学校の生徒は教師の機転で二階の屋根裏に全員避難し、翌日ヘリコプターで救出されました。生徒と先生が二階の屋根裏に逃げる時間を、松林が稼いでくれたと思うと、松林に感謝感謝です。

ボランティアはどのような方が来てくれますか?

学生ボランティア団体NPO法人IVUSA(イビューサ)は春夏の休みを利用して約100名、仙台圏の学生は月1回1人〜5人きています。

植樹以外の重要な作業に必要な人手を地域住民に貸してもらい、「ボランティアをしてみようと思っているあなた!手をかしてください!100年後に贈る松林つくるために!」をキャッチフレーズにした「松林をつくる会」の会員を募集しています。現在、会員数は25名で、月末の土曜日に2時間程、活動をしていただいているのですが、必要なときに必要な人数のお手伝いが得られないことが悩みです。しかし、人材育成の意味を持たせた会なので大事にしていきたいです。

どうして土壌改良が必要だったのですか?

粘土質を多く含む山砂は乾燥すると堅く締まり、穴を掘るのが難しく、雨が降れば雨水が地表に滞留して根腐れの原因となる恐れがあります。土壌改良の目的は、
①苗木の活着率の向上と根茎の発達を促し初期成長を確実なものにする
②併せて側溝の開設によりにより排水性の向上をはかり、根腐れ病等の発生防止につなげる
以上のことを目的としています。

作業は、はじめに機械で土を破砕し、その土に人力で堆肥等を投入・攪拌して、根が自由に伸びることができる有効土層をつくり、その上に余剰となった土で小型の凸型状植栽マウンドをつくって終了となります。

実際の活動内容を教えてください

私たちNPO法人の会員は後期高齢者がほとんどを占め、労働力にカウントすることが出来る方は働いており、今では私を含めて2名となっています。

また、森づくりには植樹以外にも、四季を通じて木を守り育てるための大切な作業があります。なので、必要なときに手をかしていただけると嬉しいです。

どのような作業をされているんですか?

作業を要約すると
①地拵:苗木のベットつくり作業
②下刈り:植樹木の衰弱・枯死を防ぐために、草を刈って陽光量70%以上を確保する作業
③潮風害・寒風害防止対策等
④病虫害発生予防と処置
⑤月に1回以上植樹地を巡回し必要な作業を適期適切に行うための情報収集
等があります。

どんな種類の木を植えていますか?

海岸防災林に求められる機能として第一に津波被害の軽減効果があげられますが、被災地住民の生活再建、農業の再生に日常的に果たしている環境保全機能は無くてはならないものです。海岸防災林の早期再生には、被災地住民とボランティアが一緒になって取り組むことが大切だと思っています。植樹した木が海岸防災林の形を整えるに従い、特別なことをしなくても、日常的に環境保全機能を果たすことができ、津波被害軽減効果も併せ持った海岸防災林へと変わっていくことでしょう。

植栽樹種は、海岸でもよく育ち、松のエイズと恐れられる「マツ材線虫病」にも強い抵抗性クロマツと、コナラ・ヤマザクラ・シラカシ・アラカシ・スダジイ・タブノキ等の自家生産苗木を混植しています。

あと何年くらいかかりますか?

木を植えて下刈りが終わればそれで終わり、というわけではありません。草刈り終了後、森のかたちの整え具合を見ながら、初期段階では「枝打ち」「除伐」が数年間隔で繰り返し行われ、その後、枝が混み合い森の中が暗くなるにつれて、間伐の時期へと進んでいきます。間伐をすることで森の地面まで陽光が入り、林内は心地よい風が通って他の生き物たちにも棲みやすい環境が提供されます。そのような健全な森は「マツ材線虫病」を防ぐ力も持っています。

このころになると落葉掻きをして焼き芋やキノコ狩りも楽しめます。それらの楽しみ方も含めて100年後の山元町の人に海岸防災林を贈ることができるよう頑張りたいですね。

防災林として成り立つには、どのくらいの大きさが必要なのでしょうか?

大津波の高さは町の発表で最大10mとなっています。個々の木は高さだけでなく、木の幹などの地上部と地下部の根系のバランスがとれていることが求められます。特に潮風や津波の破壊力に効果的な働きをする支持根(直根・ゴボウ根)の発達が最重要となります。

また、震災後の調査で、林帯幅が80m以上ある防災林は被害が比較的軽微であったことから、盛土の設計に取り入れていると聞いています。

平成27年に植えた最初の区画は2mを越えるものも出てきましたが、海岸防災林として100年後の人達に贈るには、更に時を重ね手をかけ守り育てていくこと、つまり保育管理作業の継続的実施が必要不可欠となります。人材育成が急がれます。

植樹に取り組まれてから、どんな変化がありますか?

環境保護といえば聞こえがいいですが、実際は自分たちのために環境を守るわけですよね。特に海岸林が壊滅状態になったため、海岸林が日常的に果たしていた環境保全機能も一挙に失ったわけです。なので、日によっては家の中に砂が侵入するなど、環境が激変してしまったのです。

また、最初の年は音がなくなってしまいました。蝉がいなくなり、季節の声が聞けなくなっていたのです。しかし、去年くらいからモズのはやにえを見る機会も増え、少しずつ戻ってきているのが感じられます。平成30年の植樹予定地でウサギの足跡を見つけました。かじる木もないのに、なぜウサギがここに来るのかわかりませんが(笑)。

課題はありますか?

植樹祭には積極的に参加してくれる方でも、その後の保育管理については関心が薄いというのが実態です。「どうやって関心を持ってもらうか」それが課題だと思っています。海岸林が日常的に果たしていた環境保全機能が、日常生活に欠かせないものであることの「気づき」から始めないと、継続的に海岸林に関わっていこうとする人材の育成は難しいと思います。当分の間、「松林をつくる会」の運営を「気づき」を意識した活動にしていきますが、難しいですね!

公的機関に「樹木の保育管理システムの構築」の緊急性をアピールをすることも...
これも手かなとは思うのですが!どなたか知恵を貸していただけませんか!

IVUSAさんも毎年来てくれていますが、彼らもずっと来てくれるわけではありません。問題はその後です。これから除伐や枝払い、間伐が発生してきます。多量に落ちる枯れ葉も定期的に取り除かないと、土地が栄養過多になり、クロマツによい影響をあたえないんです。楽しみにしているキノコも種類によっては影響があります。みんなでつくる松林を100年後のひ孫たちに贈るために頑張りましょう!

27年度に植えたクロマツ

28年度植えたクロマツ

29年度植えたクロマツ。まだ小さい

マツの成長を見回りをする伊勢さん

土壌改良工事

今年植林を待つ区画

宮城県の海岸防災林造成事業は,宮城県及び林野庁が実施しています。民間団体等の森林づくり活動への参加は県の公募と団体からの申し出によって行われ、現在までに延べ34団体が森林づくり活動に参加しています。(平成30年1月現時点では公募及び申し出は行っていません。)
平成32年度(2020年)までに約750ヘクタールの土地に対してクロマツを中心に約370万本の植栽を予定しています。海岸防災林の復旧を始めてから現在(平成29年11月時点)までに約263ヘクタールの土地が植栽を完了し、完成率は35%となっています。今後、植栽を行う箇所は約490ヘクタールあり、宮城県及び林野庁では、参加団体の協力を得ながら引き続き植栽を進めていく計画です。(数値は宮城県ホームページを参考)

▽みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動について
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/sinrin/minmori.html

▽宮城県の復興状況
https://www.pref.miyagi.jp/site/ej-earthquake/shintyoku.html

我々に出来ることは?(あなたの力が必要な理由)

月1回チラシを700枚配り、ボランティア募集を続けています。当初、会員20名でスタートした「松林をつくる会」は11月末で25名に達しました。その結果に「松林をつくる会」の会員である心療内科の医師は「沿岸部の人達の心がそこまで癒えてないからだと思うよ。それまで待って欲しいな!」と言います。今後も関心を持ってくれる人を開拓しながら、住民の心が海岸林に戻る日を待ちたいと思っています。

ボランティアをしてみようと思っているみなさま、是非、あなたの手を貸してください!

伊勢さんの想い

100年の時を重ねて松林をつくり次世代に贈る事業は、後年、孫やひ孫が快適な環境で暮らすための基礎づくりであることの認識をお願いしたいです。また、「浜に行ってみたいな」と思ったときは、植樹したところも見てもらえると嬉しいです。

取材・写真:上重 泰秀(じょうじゅう やすひで)http://jojucamera.com