神田先生は何をされていますか?
黒潮実感センターとして全ての業務に関わっています。専門分野は魚類生態学です。センターの業務は海洋調査、サンゴや藻場のモニタリング、保全活動をしながら地域で明らかになった様々な研究成果を、子どもや一般の方にわかりやすく伝えるために「里海セミナー」を開催しています。
特に力を入れているのは、次世代を担う子ども達のための海洋教育や環境教育、体験実感学習です。また、地域が元気になるためのお手伝いとして、海洋資源を増やすため「海の中の森づくり」に取り組んでいます。
始めたきっかけを教えてください
最初は、高知大学が海洋センターの支所を柏島に作ろうという計画がありました。私も研究者としてセンターで働きたいと思っていました。しかしその計画が頓挫し、大学が来ないという話になってしまいました。そこで私は、「大学が来なくても柏島の価値は何ら変わることはない。それなら民間、県立、町立で海洋生物の教育研究施設を作ってはどうか」と発言しましたが、誰も相手にはしてくれませんでした。
当時、高知県には自然史系の博物館はほとんどありませんでしたが、その中でも私が理想として描いているのは高知県の「牧野植物園」です。牧野植物園は、サスティナビリティー(持続性)という考え方と、自然と人間が共生している仕組みを壊さず、持続させていくための工夫が構造や設備などに生かされている植物園です。我々は「海の牧野」を柏島に創りたいと考えています。
先生は子どもの頃、どんな少年だったのですか?
結構型破りなガキ大将でしたね。生き物が好きでした。昆虫から始まり、海や川の生き物、犬・猫・鶏や植物に関心があって、いろんな生き物を飼っていましたし、幼稚園の頃から、将来は生物学者になると言い続けていました。小学4年生までは高知にいたのですが、父親の仕事の関係で大阪に引っ越しました。いきなり都会のど真ん中での生活は非常に嫌だったのですが、都会の大阪でも公園や広場があり、そこで虫を捕まえたりして遊ぶことができました。
当時、世間ではセキセイインコがよく飼われていて、それが逃げ出し、野生化して飛んでいることがありました。私はセキセイインコをどうしても欲しくなり、インコを追いかけました。インコが逃げる、私は追いかけるを繰り返し、ヘトヘトになったインコを捕まえて虫かごに入れているような少年でした(笑)
進学過程では、泳ぎや潜ることが得意、釣りが好き、の延長で魚関係の方に進路を絞りこみ、魚類生態学になったわけです。
持続可能な「里海」づくりとは?
「自然を実感する取り組み」「自然と暮らしを守る取り組み」「自然を活かす暮らしづくり」3本の理念があります。
「自然を活かす暮らしづくり」は、住民の物販販売、豊かな漁場づくりのお手伝い、「自然と暮らしを守る取り組み」では、海洋環境の定期的な調査や、サンゴや藻場の保全活動、ダイバーと漁業者が共存するための仕組みづくり、自然と暮らしを守るルールづくりのお手伝い、南海トラフ巨大地震に備えるための災害リスクマネジメント。そして「自然を実感する取り組み」では、海の環境学習会やエコツアーの開催などを行っています。
最近では子ども向けのアクティビティーの種類も充実してきました。しかし、単に体験するだけではなく、座学も含めていろいろやっています。他地域から来た子ども達のサマースクールは参加費を頂いて開催していますが、地元の子ども達はお金を出してまで体験することはありません。せっかく自然を学べる機会があっても空洞化してしまうので、地元の子ども達にはボランティアで様々な体験をしてもらっています。
地元小学校では「とっておき出前講座」を行っていますが、その他に「海の寺子屋」という事業です。学校では教えてくれないことを、もっと海のことを勉強したい子ども達のために、海の生物の実験や観察をしています。室内での勉強も楽しいですよ。
室内では何を?
魚の解剖や、顕微鏡で小さな生き物を見たり、じっくり観察するような野外で出来ないテーマで取り組んでいます。このように何か得意な分野を作ることで、子ども達のモチベーションを上げていき、将来は海の環境で生計を立てられる子が一人でも増えてくれればいいと思っています。
黒潮センターではスタッフは何人ですか? 後継者育成は?
現在のスタッフは私と研修生を含めた二人です。十分なことができない非常に厳しい状況です。海洋教育、環境教育は、「教育」と名前がつくと無償で提供されるものというイメージが強いと思います。私たちは収益に直接つながるようなことだけをやっている訳ではなく、公益性が高く環境全般に対して貢献できるような活動は、本来なら公の予算がつけばいいのですが、現在は行政等も予算化を考えていません。ボランティアに近い形で地域貢献活動をしていますが、仕事は2倍、収入は半分といった状況です。
職員が多忙な中でモチベーションを保ち続けるには、ある程度の給料を払わなくてはいけません。海への思いだけでは、最初の数年はよくても長くは続きません。我々の活動が生業として認められる社会ができないと、この活動は続きません。後継者育成のネックはそこにあります。我々の活動に興味のある若者をなかなか雇うことができません。これからどのように改善していくと後継者が育つのか模索している状態です。
最近柏島周辺の海の状況は? 磯焼けがここでも深刻?
磯焼けは様々な要因が複合的に絡んでいること、地域性による被害の違いなどが分かってきています。例えば、柏島は「森が荒れると海も荒れる」と言われていますが、実際、柏島周辺の山は荒れていません。それでも磯焼けが進んでいるのは、昨今問題になっている地球温暖化に伴う海水温の上昇が、海藻の生育にかなり悪い影響を与えると示唆されています。
具体的には、もともと涼しいところを好んでいた海藻が、温度が上がることによって住みづらくなってくる。さらに、海藻が100あったとして、捕食者のウニが100いてもバランスが取れていたところ、海藻の勢いがなくなってしまって20に減ってしまった。捕食者のウニは100なので、残っている海藻も食べられなくなってしまう。これが柏島の磯焼けの原因だと分かってきました。ウニを定期的に駆除することによって、海藻が戻ることを確認しています。
浅場の磯というのは海藻とサンゴが場所の取り合いをしています。サンゴは水温が15度を下回ると生きていけません。最近は16〜17度で止まっており、サンゴにとって良い状況なので勢いが強くなってきました。しかし、ボトムが上がればトップも上がります。暖かくなりすぎるとサンゴの白化現象が起き、厳しい状況になります。限られたエリアで環境を改善するには地球規模の要因が絡んでいるので、難しくなってきているなと感じています。
藻場の再生にも力を入れていますが、ホンダワラ類でも南方系の種が随分入ってきています。藻場が再生されたとしても海藻の組成がかわってきており、熱帯、亜熱帯系の藻場に変わりつつあります。また、その藻場を利用する生き物も変わらざるを得なくなってくる。海の中もだんだん南方系にシフトしてきていると思います。
自然の海と利便性を求める生活の折り合いは?
「里海」とは、豊かな自然環境を保全していこうとするベクトルと、海を利用して利便性の高い生活を求めるベクトルがあります。ある一点を一つの“正しい”ものに決めてしまうのではなく、常に揺れ動きながらその時その時に人々が合意していくものであると考えています。とはいえ、自然には環境容量があり、「これ以上やったら戻れない」という閾値「point of no return」があります。人間には聞こえない自然の声を聞き取り、その閾値を見極めて保全と利用のバランスをとることが必要です。
私たちの役割は、合意の基礎となる情報を提供すること、保全と利用を両立させられるアクションの選択肢をつくること、そして、異なる立場の人をつないでそれを実践する際の手助けであると思っています。
我々は行政ではないので権限や決定権はありません。何ができるかというと、みんなの気持ちをまとめる緩やかな合意形成しかないんです。しかし、それぞれの立場の人が自分の利益を最大化していこうとするので難しいです。明日、1年先のことしか考えていない人と10年、50年、100年先のことを考えている人、当然感覚が違いますから、その辺をどのように合わせていくか、すり合わせが難しいです。
例えば、ここを「海洋保護区」にしましょうという方法もありますが、ここは人々が海を生業にして暮らし続けているところなので、人を排除して何かをすることはできません。海には、漁師、ダイバー、釣り人、観光客いろんな人が利用している中で、どのあたりで落ち着かせていけば良いのか。その点もいつも決まるわけではなく、その時代によって幅を持たせないといけない。社会情勢だとか環境に対するみなさんの考え方が変われば変わりますから。
「里海」を全国規模にするにはどうしたら?
「里海」という言葉を1998年に作りました。しかしその当時、九州大学の柳先生も同時期に「里海」という言葉を提唱されていました。
私は「人が海からの豊かな恵みを享受するだけでなく人も海を耕し、育み、守る」という考え方を提唱しています。最近ではいろんな環境団体が増えてきて「里海」活動も大きくなってきたわけです。私は海を耕すというイメージを持ち、海洋資源が増え、人も暮らしやすいような海づくりを目指しています。
全国規模に広がりそうですか?
すでに広がりつつあります。例えば、よく進んでいるところは瀬戸内海です。瀬戸内海は分かりやすいんです。閉鎖性水域で、人間の経済活動が環境に影響を及ぼしやすい海では「里海」という考え方が理解されやすいです。あと、沖縄県の恩納村や白保といったサンゴ礁海域。広島県や岡山県日生では、牡蠣養殖やアマモ場の再生を通じて里海活動などが広がっています。能登や東京湾でも「里海」活動をしていますね。
全国で「里海」活動に興味のある方にメッセージはありますか?
「里海」はどちらかというと沿岸域のイメージなんです。海から物を採捕して生活の糧にすることは、海から無尽蔵に供給されるわけではないので、「採るだけではなく戻す」というイメージで、海と共に人も育てる考え方を「里海」という定義で広めて行きたいです。
それにはまず海に関心を持ってもらうことがスタート。捕るだけで終わりではなく、資源がどうすれば戻るかを考えながら、一定期間捕らないという選択枝もあるでしょうし、環境が悪くなり稚魚が育つ場所がなくなり、海が荒れているところもあるでしょう。海だけではなく山からの栄養塩の供給もあるので、海で働く人も漁師も山に目を向けることが大切です。流域全体を見渡せるような視点が広がればいいのかなと思っています。
問題点はありますか?
海は共有物なので、恵みをもらうのは嬉しいわけです。でも、採っても戻さない。その後を「育む」ことにあまり関心を持っていないと思います。漁獲が減ったら、誰かのせいにするのではなく、原因が分かったなら、それに対してみんなで取り組むことをしなければならないと思っています。
海洋教育、環境教育をしていて、東京や大きな街で話す機会があり、すごく感じたことは、海に対するリアリティーがないんです。やはり海に行かないし、海というものを映像として綺麗だなという感覚はあるけれど、それ以外は感じない。海に行けば海面がキラキラして眩しいわけです。眩しさ、磯の香り、海風、そういったものを五感で感じていないと思います。
若い人の海離れが進んでいます。水族館は好きだけど、寿司は好きだけど、海は知らない。食べ物としての魚と生き物としてのサカナの乖離、もっとリアリティーのある体験をしないと海に関心のない子がどんどん増えてしまう。それはとても怖いことです。海の環境に変化があってもピンとこないわけです。他人事で当事者意識がない。
自分のことのように感じるには、まずは海に足を運んで欲しい。親世代が海離れしている方が多いので、親も海のことを知りません。黒潮実感センターでの体験学習では親の方が子どもに負けないくらい楽しんでいます。子どもと一緒に海の楽しさがわかると、リピーターとして毎年来てくれるようになります。
目標や夢はありますか?
私は51歳ですけど、バリバリと仕事ができるのはあと15年くらいです。限られた時間の中で何をどこまでできるのか逆算してみたんです。何がしたいのか考えた時、現在取り組んでいる柏島の環境を含めた風景を残したいのはありますが、それだけではありません。
この島は私たちの考え方を実践した一つのモデルです。私はこの「里海」という考え方を日本全国や世界に広めていくことと同時に、私一人で進めるのではなく、大勢の方々が私たちの活動に関心を持って、どんどん広めていってほしい。そしてポスト神田という人物が、世の中に何人出てくるか楽しみにしています。それが夢ですね。
3月に共著の本を出版されますね。
「里海学のすすめ -人と海との新たな関わり-」鹿熊信一郎・柳哲雄・佐藤哲 編。
4月に発売予定です。
私と龍谷大学の清水万由子さんとの共著で、第10章「ダイバーと漁業者が協働して里海を創るー高知県柏島」を執筆しました。
「里海」は手つかずの海があるわけではなく、そこには人の生活があり、色んな方の考え方や思いがあります。その状況の中、どうすればお互いに合意しながら良い方向に向かっていけるのか書いています。
本書にはレジテント型研究者・研究機関という言葉が出てきます。地域に住みながら研究している研究者のことです。そのレジデント型研究者として私が取り上げられています。つまり、研究のための研究をしているわけでなく、地域の課題を、自分の持っている科学的なスキルと地元の方の知恵の部分を合わせながら自然科学、社会科学の技法を用いて問題を解決していく、そのような目線で見た私たちの活動についての記録です。
先生の集大成ですね。
いやここで紹介しているのは活動の一部です。私は数年前までレジデント型という言葉も知らず、ましてやレジデント型研究者ということなど意識していませんでしたが、研究のための研究ではない、レジデント型研究者は今後重要な意味を持ってくる。そのことにもっと注目すべきではないかという流れが出来つつあります。読み応えのある面白い本だと思います。