今、あなたの力が必要な理由

vol.44

オーガニックコットンが世界を変える~環境破壊、児童労働にストップを~

渡邊智惠子

渡邊智惠子さん- Chieko Watanabe -

株式会社アバンティ代表取締役会長

略歴

  • 1952年:北海道斜里郡出身
  • 1975年:明治大学商学部卒業
  • 1975年:株式会社タスコジャパン入社
  • 1983年:同社 取締役副社長に就任
  • 1985年:株式会社アバンティ設立、代表取締役社長就任
  • 1990年:株式会社タスコジャパンを退社
  • 1993年:Katan House Japan Inc. を設立、代表取締役社長就任
  • 2000年:NPO法人日本オーガニックコットン協会(JOCA)に昇格、副理事長就任
  • 2008年:「毎日ファッション大賞」受賞
  • 2009年:経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」に選出
  • 2009年:『ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010』リーダー部門を受賞、総合7位を受賞
  • 2010年:NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に取り上げられる
  • 2011年:一般社団法人小諸エコビレッジ設立、代表理事就任
  • 2012年:アメリカ・テキサスGold hoe awardを受賞
  • 2014年:一般社団法人わくわくのびのびえこども塾設立、代表理事就任
  • 2016年:一般財団法人22世紀に残すもの設立
  • 2016年:一般財団法人森から海へ設立

渡邊さんは何をされていますか?

1990年からオーガニックコットンの原綿をアメリカから輸入して「糸・生地・製品」までを一貫して企画製造販売をする「株式会社アバンティ」の代表取締役会長をしています。オーガニックコットンを広めたいという想いから「PRISTINE」というブランドを1996年に立ち上げました。販売している商品には、私が生まれ育った北海道の原風景が反映されていると思います。

私は北海道斜里郡斜里町というオホーツク海に面した厳寒の街で生まれました。斜里で思い出すのは斜里岳の白い雪と、秋の裾野に広がるススキのベージュ色。その2色がモノトーンとなって、私の記憶に強く残っています。その思い出が「PRISTINE」の物作りへの原点、コットンは生成りのまま、染色はせず表現することにつながっているのだと思います。

オーガニックコットンとの出会いは?

私とオーガニックコットンの出会いは1990年のことでした。貿易をしていた私たちの会社に、知り合いのナチュラリストのイギリス人女性から、アメリカのオーガニックコットンの輸入をして欲しいと依頼され、ニューヨークのアパレル業者から生地の輸入をしたことがのキッカケです。

しかし、輸入された綿のクオリティーや種類、生地などの全てが満足を得るものではありませんでした。そこで私は日本で商品を作ることを考え、オーガニックコットンの栽培現場を視察するため、テキサス州の農務省に連絡をしました。その時、農務省の窓口になってくれたワイズマンさんが私にとってキーパーソンになるのです。

ワイズマンさんはテキサス州のオーガニックコットンの基準づくりにも関わった方で、私にオーガニックコットンのことを1から10まで、とても親身に教えてくれました。

良い出会いがアメリカであったのですね

ワイズマンさんが、日本にコットンを輸出する会社をテキサスに作ることを勧め、テキサス州の農務省が発行するロゴマークの使用申請などワイズマンさんのアドバイス通りに進めました。

そして1993年、テキサス州サンアントニオに現地法人の「カタンハウス」を設立することができました。その会社はアメリカの農場から綿を買い取り、日本のアバンティーに輸出する会社です。つまり私はアメリカでも会社を一つ経営することになったのです。

副社長は日本人の弘子フェイさんにお願いしました。アメリカ人と結婚し、英語がとても堪能で信頼できる女性です。彼女の尽力のお陰でスムーズに話が進み、カタンハウス設立に向けて大きな力になってくれました。このように偶然に舞い込んできたオーガニックコットンのビジネスが、気がつくと生涯をかける仕事になっていました。

アメリカから原綿が輸入されると糸作りからのスタートです。太糸や細糸の生産にいくつもの製糸会社や機屋、ニッターさんに引き受けていただき、それらを販売することからオーガニックコットンビジネスが始まりました。

糸づくりから生地作り、縫製、全てメイドインジャパンにこだわった素晴らしい商品を「PRISTINE」で販売できることになりました。現在、綿はテキサス州の他にインドからも購入するなど、少しずつオーガニックコットンの需要は増えています。

そもそもオーガニックコットンとは何でしょうか?

3年以上農薬や化学肥料などを使わず、牛糞や堆肥を用いる農地という条件以外に、遺伝子組み換えの種を使わない。化学薬剤を使わない。労働者の人権を守る。児童労働に関わらない。を守りながら栽培している畑で収穫されたコットンのことです。

一方で、生産に手間と時間がかかるためリスキーな事業ですが、お客様が商品を手にとって「オーガニックコットンは少し高いけど品質が全然違う」と思っていただければ、マイナス面がブランドの「価値」にかわるのです。

しかし、数字でオーガニックコットンの質を証明することができません。私たちのコットンへの想いや会社のポリシー、生産背景を開示していることに納得し、商品を購入してくれるお客様に感じていただくことが全てです。

またオーガニックコットンは「品質」と「トレーサビリティー」が命ですから、「間違いのない製品である」という「品質保証」を明示しなければなりません。

そこで、テキサス州のオーガニックコットンファーマー協会とテキサス州農務省の協力を得て、製品を認証する日本テキサスオーガニック協会(JTOCA)を設立し品質基準を定めました。後に2000年に現在のNPO法人日本オーガニックコットン協会(JOCA)になります。

世界の綿はどのような状況なのでしょうか?

私はオーガニックコットンのビジネスを大きくすることが社会貢献だと考えています。綿は大量に化学薬剤を使い育てる農産物です。地球上で約2.5%の綿の耕作地がありますが、それは世界で使われる薬剤中、その約16%が散布されていると言われるくらい化学薬剤集約型農産物です。

綿は食べるものではないので、食料より軽く扱われているのでしょうか。オーガニックコットンの需要が広がり、地球上で薬剤を使わない綿作りをすれば、環境を守ることになります。

また、小さい子供を学校に行かせないで働かせる児童労働の深刻な問題もあります。特にインド、ウズベキスタンでは児童労働が日常化しています。消費者の方が毎日着ている服が、実は人道的搾取で作られている可能性があるのです。

児童労働を禁止しているオーガニックコットンが広がれば、環境破壊と人道的搾取の両方が少なくなる可能性があると思います。

環境だけではなく会社の中にソーシャル事業部を立ち上げたと聞きました

2011年3月に発生した東日本大震災は日本に深刻なダメージを与えました。私にとって仕事は人生だと思うほど大切なものですが、“もしその仕事が一夜にしてなくなってしまったら”と考えた時に、避難している女性たちに何とか仕事を作りたいと思い、ソーシャル事業部を立ち上げ、東北の被災地の方々と向き合うことにしました。アバンティの社員だけではなく、知り合いの方々にも声をかけて何ができるか話し合ったのです。

どのようなプロジェクトでしょうか?

被災地の女性に仕事を作るプロジェクトは「東北グランマ」と言います。グランマは英語で「おばあちゃん」という意味です。震災から3ヶ月後、私たちが尋ねたのは石巻市の大指という小さな漁師町でした。漁業を生業にしていましたが、漁船も家も津波でなくなっていました。そんな状況の中、避難所で身を寄せ生活していた女性たちにプロジェクトのお願いしました。

最初はオーガニックコットンの裁断クズから、クリスマスオーナメント作りをスタートしました。2011年12月は2万5千個を作り、1個1000円で販売して2500万円の売り上げになり、約800万円を久慈市、石巻市、陸前高田市の50人のグランマの方に支払うことができました。

しかし時が経つにつれて売り上げが3分の1づつ減り、復興はまだしていないのに、国民の関心が薄れることに憤りを感じました。“何か、ここで起死回生の一発を打ち上げたい”と思っていた時に、ちょうどソチオリピック開催時期と重なりました。

大きなチャンスですね

オリンピック選手たちに「東北復興の現状を伝えたい」との思いで活動していました。様々な方とのご縁とスポンサー企業の善意が実り「東北グランマ」たちの作ったオーガニックコットンの帽子を“ソチオリンピックの選手にプレゼントしたい”という私たちの夢が叶いました。そして、1式1万円の「日本選手応援グッズ」を味の素さんが500セットを500万円で買って下さりました。

また嬉しいことに、オリンピック中継でグランマが縫った帽子を被ってインタビューに答えている浅田真央選手の姿が、グランマたちには大きな励みとなりました。そしてパラリンピックは私の会社アバンティーがスポンサーになり選手を応援する側になりました。

東北グランマの仕事づくり:https://avantijapan.co.jp/social-business/grandmaproject

他に活動していることはありますか?

福島県いわき市では原発による風評被害がひどく、野菜や米を作っても買ってもらえないため耕作放棄地が増えて困っていると聞き、「食べ物ではなくオーガニックの綿を栽培したら」と提案しました。しかし、農家の方は売れるかわからない綿の栽培に躊躇があるようでしたので、アバンティで全てを買い取ると約束して2012年に「福島オーガニックコットンプロジェクト」がスタートしました。

また、2013年は長野県の小諸で「わくわくのびのびえこども塾」を作りました。これは原発の影響で線量が高く、運動ができずに内側にこもってしまう福島の子ども達に、思いきり外で走り回ってもらい、生きる原点「衣・食・住」を学んでもらうプロジェクトです。現在では児童養護施設の子ども達にも参加してもらっています。

福島オーガニックコットンプロジェクト:https://npo-thepeople.com/organic-cotton-pt/
わくわくのびのびえこども塾:https://avantijapan.co.jp/social-business/ekodomo-juku

いろんな活動をされているんですね

はい!実は「一般財団法人22世紀に残すもの」という財団も設立しました。考えてみてください。あと81年後にはもう22世紀です。今、生まれてくる子が80歳になったら22世紀です。その子達にどんな地球、どんな日本を残していくか、持続可能な社会づくりにみんなで参加し、一緒に考えていくための団体です。

私がラジオのパーソナリティーとして「22世紀に残すもの」をテーマにゲストをお招きして対談もしています。今まで対談させていただいたゲストには、モスバーガーの桜田社長、歌手の加藤登紀子さん、ワタミのオーナー渡邊美樹さんなどがいて、その様子はYoutubeでも見ることができます。また「22世紀に残すものをサロン」を月に1回開催して色々な情報を発信しています。

一般財団法人22世紀に残すもの:https://www.22c.life/

オーガニックコットン

オーガニックコットンの糸コーン

PRISTINEの商品と店舗

テキサスの風景

東北グランマ

わくわくのびのびえこども塾

福島オーガニックコットンプロジェクト

我々に出来ることは?(あなたの力が必要な理由)

2019年は台風など大きな災害が続いています。有事の際は自助、共助、公助が必要と言われますが、その中でも私は「共助」がとても大切だと思います。例えばハザードマップとは別に、有事の際の「お助けマップ」を作りたいと思っています。避難所の収容には人数制限もありますし、何万人に避難勧告がでた場合は行くところがありません。

このような場合、私は自宅に避難者を呼んで、個人で「共助」をやろうと考えています。そういった活動が必要だと思いますので、同じ考えの方が増えてくれたら嬉しいです。

渡邊さんの想い

個人一人で幸せになるより、周りと一緒に幸せになることが本当の幸せだと思います。例えば、食事を一人で食べても美味しいですか? 喜んで食べてくれる相手がいるからこそ、作り手も幸せになれると思います。みんなが幸せに生きていけることを願っています。

取材・写真:上重 泰秀(じょうじゅう やすひで)http://jojucamera.com