先生は東京海洋大学でどのような研究をされていますか?
私は人と自然の関わりについて研究をしています。その中でも「水圏環境」に着目しています。水圏環境は、地球全体の環境や生態系に及ぼす影響が極めて大きいです。とりわけ、四方を海に囲まれ数多くの恩恵を水圏環境から受けてきた日本では、これからも恩恵を受け続けるために国民ひとりひとりが水圏環境に対する興味、関心、素養を深めることが不可欠です。そのため、水圏環境と人との相互作用の理解を深め、持続的に水圏環境と付き合うことが出来るようになるにはどうするか、自然科学と人文・社会科学の両面から研究に取り組んでいます。
「水圏環境」とはどのようなものですか?
地球の環境は大気圏、陸圏、水圏に分ける事ができます。大気圏には我々の呼吸に不可欠な酸素が存在し、陸圏は私たちに生活場所を与え、水圏には水が存在しています。そして中でも水圏に存在する水は、大気圏、陸圏、水圏を循環し、地球上のほとんどの生命にとって必要不可欠な物質です。私は、水圏環境を「人間をとりまき、人間と相互作用を及ぼしあうものとしてみた水圏」と定義しています。
研究室では、ある地域に昔から存在している在来知(昔から伝わる知恵、代々伝わる物語)と科学的な知見を融合して「水圏環境リテラシー基本原則」として教育に活用をしています。
「水圏環境リテラシー」とはなんですか?
水圏環境リテラシーとは、人と水圏環境との相互作用を総合的に理解する能力です。当研究室では、2007年より水圏環境リテラシーをもった人材を育成するための「水圏環境教育推進リーダー」の育成につとめています。育成手法にはラーニングサイクルという学習理論を用います。学習者には、十字モデルワークシートという特別なワークシートに自分たちの観察結果や疑問点、仮説などを記入してもらい、その記述を分析することによって、思考力、判断力、表現力といった科学的探究力の状態を調べることができます。
海も研究対象ですね
はい。私たちは、水が存在するあらゆる場所に目を向けています。大地を巡る水は最終的に海に流れ出ます。そのことを理解し、海への「科学的探究力」を高めていきます。
先生はなぜ水圏に興味を持たれたのでしょうか?
水圏は全ての生命に必要不可欠なものであり、産業や日常生活などあらゆる場面で人間の営みに必要不可欠です。しかし、人は水の中に住んでいないので、その重要性になかなか気がつきません。だから、「人間の生活と水は密接な関係がある」という現実や認識を深めることが、海ゴミや海水温上昇などの世界的規模の課題解決に繋がっていくと考えています。
先生は教授になるまで、どのようなことを学んできたのでしょうか?
私は東京水産大学(現東京海洋大学)の水産養殖学科で、1年生の時ナマズ養殖について学んでいました。例えば、100匹産まれた赤ちゃんナマズは最後の1匹になるまで共食を続けますが、それを防ぐことを研究のテーマにしていました。4年生の卒業論文では東京湾のミズクラゲの生態を研究しました。
大学卒業後は岩手県で水産高校の教員となり、その際に、私のキャリアに関わる大きな経験をしました。それは、湖に生息している「ワカサギ」という魚がいるのですが、地元の海には生息していないと言われていた「ワカサギ」を生徒たちが宮古湾で確認しました。この魚は間違いなく「ワカサギ」だと思い、同僚や地元の釣具店、魚店の方々に確認したのですが、「チカというワカサギ属の魚では?」と言われました。そこで、北里大学の井田教授に協力していただきレントゲン写真を撮影したところ、背骨の数から間違いなく「ワカサギ」であることが立証され、「海にワカサギが生息」と地元では話題となりました。
その時に、「フィールドを体験的に学習することで生徒たちの科学的探究力も高まる」と確信しました。母校である東京海洋大学に赴任した際に、「水圏環境教育」をテーマとして、科学的探究力を高めるフィールド調査実習の有効性について教育実践研究に取り込もうと思ったのです。
先生は東京の水辺の環境をどうお考えですか?
昔から、東京は川、海辺を中心に街が作られています。江戸時代の深川〜品川あたりまで広大な干潟が広がっていました。干潟にはたくさん生き物が生息していたそうです。そのため多くの人々は干潟を大切にしながら生活をしていました。
浜松町を流れている古川の河口域には1000年以上昔から漁村があり、明治時代には日本で最初に開場した海水浴場もありました。海は遠浅で潮干狩りを楽しむなど、水辺と密接な関係を築いていましたが、戦後の高度経済成長に伴い公害問題が深刻化。海、川とも大きなダメージを受けました。
しかし、この半世紀で住民や地方公共団体の努力や、企業の公害防止の投資、技術開発等が相まって、公害の克服に向けた努力がなされた結果、近年では海辺に親しみを持てる商業施設も増え、少しずつではありますが、水辺に目を向けた活動が広がりを見せています。
先生はカイロを海中に沈めて海を浄化する研究もされていると聞きました
使い捨てのカイロの中身を固め、海に入れ浄化をするという、嘘のような本当の話です。そのようなことを研究対象にすると、エセ科学という部類に属するような印象があり、長年にわたり科学的見地を捉える研究者はいませんでした。
しかしある時、知人から「使い捨てカイロを海に入れると水質の浄化が進むのですが、誰も科学的に実証をしてくれない。佐々木先生お願いします。」と、依頼されました。お引き受けはしたのですが...どうしていいのかわからず、全くゼロからのスタートでした。
先生が一番最初にカイロの実験をスタートさせたのですね
使用済みカイロの中身は酸化鉄ですが、使用前は「鉄」と「炭」の2種類の物質です。基本的には、鉄も酸化鉄も硫化水素を吸着します。私が実験に選んだのは、使用済みのカイロではなく、使用前のカイロで試しました。数年、実験を繰り返し、効果を論文にまとめ、自然環境復元学会で発表しました。
仕組みはどのようなものでしょうか?
「使い捨てカイロ」の中身である鉄を再利用して団子状にしたものです。主成分は鉄粉と炭素粉であり、電池の作用により効率的に二価鉄イオンを溶出します。重さが100g、直径が約6cm、鉄粉と炭素粉で構成されています。
使用済みカイロにはどのような効果があるのでしょうか?
簡単に説明すると、ヘドロの中に大量の硫化水素が発生しています。そこに使用済みカイロから取り出した鉄を入れると、電子や二価鉄イオンが発生し、電気が発生していることを確認できます。この時、硫化水素が鉄に吸着されます。
そして、硫化水素が抑制され微生物が増えてくると、ヘドロの腐乱臭の元とされる硫化水素の嫌な匂いがなくなってきます。電流を流すことで底質改良につながることが、近年の研究でわかってきます。しっかりとした効果や検証を得るには、ヘドロの状態や場所にもよりますが、2ヶ月くらいの期間が必要かもしれません。
色々な種類のカイロがありますが、全部同じ効果があるのでしょうか?
基本的に二価鉄イオンが水に溶出していれば効果は確認されます。使用済みの使い捨てカイロで作成した鉄団子からも二価鉄イオンが溶出していることを確かめています。現在、カイロ工業会でも、環境に負荷を与えない材料を使ったカイロを作る計画しているようです。先日、海洋に投入しても安全なカイロの製造を要望しました。
これまでの研究技術を使った今後の計画はありますか?
私の実験では、鉄と炭を合わせると電池になると証明されています。その特性を活かせば、水の中でもさらに高い電圧を得ることができるのでは?と仮説を立て実験をしたところ、ヘドロから約0.6〜0.7ボルトの電気の発生が実証されました。4つのユニットを直列につなげると、約2.5ボルトくらいまで発電力がアップしました。これにより白色発光ダイオードが点灯できる電圧になりました。つまり、ヘドロから発電が可能であることが証明されました。私はさらにこの研究を深めていきたいと考えています。
すごい発明ですね
私はそのシステムを「鉄炭密着ヘドロ電池」と名付けました。そして、これからも実験を重ね、電流を安定的に供給し、将来的に家電製品が稼働できるくらいの電気を発生してほしいと願っています。
これまで12年間、運河をきれいにする活動を行っている中学生も、この周辺の厄介者のヘドロがエネルギーになるわけですから、今からヘドロ電池を利用して橋をライトアップしたいと、目を輝かせながら夢を掲げています。しかし残念ながら、その電圧まで高めるには、あともう1歩というところでしょうか。この仕組みの特許申請を4年くらいかけ、去年1月に無事に取得しました。
鉄炭密着ヘドロ電池の実証データはありますか?
東京海洋大学が東京都から許可を受け占有している海岸の浄化センターの目の前で、2016年から実証実験をしています。おおよそ5m×10mの池の中に、約120kgの鉄と炭の塊を入れています。その場所は、東京の10区から汚水が流れ込んでくる最も環境負荷が大きい海域の一つです。大雨の時にはオーバーフローにより排泄物が流れ込み、臭いが非常にキツい場所です。そのような場所に設置しましたが、設置から4年でCOD(化学的酸素要求量)が下がり、透明度が高くなりました。効果が出ていると考えています。
鉄炭密着ヘドロ電池は私たちでも作れるのでしょうか?
はい!家庭でも作ることは可能です。使い終わったカイロの中身はボロボロの酸化鉄に変質していますが、その酸化鉄に有機酸のクエン酸を入れ、プレス機で一気に固めればできます。
先生!普通のご家庭にプレス機はありません(笑)
ないですよね(笑)。しかし、簡易的な実験でも効果は見ることができると思います。大きめの水槽に、海から回収してきたヘドロと使い捨てカイロから作った鉄団子を入れて様子を見るのも良い経験かと思いますので、実験していただければ新しい発見があるかもしれませんよ。
水中で酸化鉄自体がゴミになりませんか?
一般的にはそのようなイメージかもしれません。しかし、使い捨てカイロは決してゴミではありません。実験などでまとめて沈めた鉄団子などは、回収しても良いのかもしれません。もし少し海中に残ったとしても、元々は地球の物質なので、地球に還元されるだけなので安全です。